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Your search : [ author:写真 楊飛] Total 3400 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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1. 著作の背たけは一·六四メートル 語学辞典に命燃やす王同億氏
背の高さ、一·六四メートルの高さまで積み上げられた辞書。その脇に立つ人がすべて翻訳·編集と聞けば、思わず「うーん」とうなってしまう。王同億氏、今年五十歳。七六年からこれまでに実に十九種、字数にして一億三千九百万字の辞書を出版している。十三カ国語に通ずる“マルチ人間”。湖南省桃源県の生まれ。家は貧しかったが、堅忍不抜の精神力で苦学の末に桃源県一中、常徳市一中へと進む。五八年、常徳市でただ一人北京大学
Author: 写真 楊飛 Year 1989 Issue 3 PDF HTML
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2. ヒゲの画家とよばれていますが 実はこのヒゲ 私の絵筆なのです
写真の一つは李守群さんがヒゲで絵をかいているところで、もう一つは李守群さんのヒゲ絵の作品『画家張大千』です。中国画の大家張大千も興にのってヒゲで人物画をかいたことがあるので、それを題にしたものです。唐代の王墨は酔って頭髪で山水を描きましたし、最近はフランスにもヒゲを束ねてブラシにして油絵をかく画家がいるそうです。李さんは湖北省の出身で、いまは人民日報社の画家です。北京工芸美術学校を卒業して、美術教
Author: 写真 楊飛 Year 1989 Issue 11 PDF HTML
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3. ただいまドラマの修行中少林寺第34代後継者
北京中央戯劇学院の高級脚本研究班に、一人の僧籍の学生(写真右)がいる。法名を釈延王と言い、少林の人びとはこの名で呼ぶ。少林寺曹洞正宗第三十四代の後継者であり、少林寺武僧団の秘書長兼コーチでもある。その法号を圓規と言い、文芸関係者はこの名で呼ぶ。圓規さんは、一九八三年十九歳で出家し、少林寺住職である永信和尚について修行した。もともと文学が好きで、高校時代にも故郷の湖北省の新聞に散文や詩歌を発表してい
Author: 写真楊飛 Year 1992 Issue 5 PDF HTML
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4. 中国交響楽団がデビュー
一九九六年九月六日、新たに誕生した中国交響楽団が北京市の世紀劇院で、ショスタコービッチの「祝典序曲」で始まる第一回演奏会を行い、江沢民国家主席をはじめとする満員の聴衆を魅了した。なおこの日演奏されたその他の曲目は、陳培勲の前奏曲「咏雪」、ベートーベンの「合唱幻想曲ハ短調」、ブラームスの「交響曲第一番」であった。八〇年代の初め、国内の音楽熱が高くなってきたのを受けて、旧中央楽団が、練習と演奏活動を再
Author: 文·若虹 写真·楊飛 Year 1997 Issue 1 PDF HTML
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5. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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7. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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8. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML